2011年12月16日金曜日

OPEN DAY!!! ~卒業~


 昨日は任地、ワムム更生学校の年に一度の大イベント”OPEN DAY”でした。

”OPEN DAY”と呼ばれるこの日は、生徒の家族、この地域の児童関連の仕事をしているオフィスのお偉いさん達を招待して、生徒の更生具合をお披露目する生徒にとっても、学校にとっても大事な日。と同時に3年間の更生期間を終了した生徒たちがワムムを卒業し、自分の家に帰っていく日。今年のこの時期に135名中42名が卒業していく。

久しぶりに家族に会えるという事で、生徒たちは2週間ぐらい前からそわっそわ、そわっそわ。

かなり大き目の10代後半の生徒ばかりですが、両親や兄姉弟妹の前ではかわいい子どもの顔になってました。

当日は子ども達の歌、詩の朗読などの出し物があったり、今年1年いろんな分野で頑張った生徒がみんなの前で発表&表彰があったり。
・アカデミッククラス成績上位者。
・職業訓練クラスの成績上位者。(ベーカリー、大工、配管、メカニック、ペインティング)
・上記職業訓練のNational Trade Test(全国技能検定試験)合格者の表彰。
・今年一番○○を頑張ったで賞。
 -勉強部門
 -スポーツ部門
 -身だしなみ部門
 -更生部門
 -クラブ部門
 -奉仕活動部門
 -色んな事に挑戦した部門
 -総合部門

そして、職業訓練のワークショップの成果物の展示会&販売会も開かれた。


ベーカリーの展示。
ワムムのベーカリーのケーキはそこらの店で買うケーキより数段おいしい。この日は飛ぶようにケーキが売れたようです。










ペインティングの展示。
道端の看板や広告など手描きが主流のケニア。近い将来、彼らが描いた広告を見る日が来るかも。
 カーペントリー(大工)の展示。
ケニアのどこの町に行っても大工のワークショップを見かけるので、このクラスも将来の職探しに有利になるはず。
 プランビング(配管)の展示。
1年間の研修で学校を離れていた担当の先生が復帰し、今年から再開されたクラス。

ケニアの職場は休職して、学校などに通うことがごく普通に行われるオープンな雰囲気。休職中はもちろん給料も支払われる。でも、先生不在の場合は、代わりの先生を立てず、その授業が当たり前かのように完全に閉鎖されてしまう。さすがケニア。
 ビーズ製作の展示。
これは職業訓練クラスではないが、こんな商品もお土産屋さんでよく見かける。
 農作物の展示。
畑の耕し、種まき、雑草抜き、水撒き、収穫が全て生徒たちの手で行われている。

スクマ(ケール)、豆、とうもろこし、インゲン豆、トマトなどなど。
 歌と踊りを披露する”FAN BOYZ”
 この日の為に作られたスタッフお揃いのポロシャツ。

WRS:Wamumu Rehabilitation School

モットー:Always Improving

学業と職業訓練をそれぞれ表した校章。
 WAMUMU REHABILITATION SCHOOL

"Our Children, Our Priority"

「子どもが最優先!」

更生学校にいる間は、この先生たちが親代わりである。
来賓席。

北はトゥルカナ、南はモンバサ、ラム、
西はキスム、東は。。。

とにかくケニア全国各地から、遠路はるばるワムムまでよくお越しくださいました。
 Shairi(ポエム)を朗読する生徒。
彼のポエムの世界に魅了され、親御さんからの御ひねりが襟元に次々と足されていった。
 青少年を対象に活動しているNGOの人たちの劇。台詞のぐだぐだ感を頑張ってカバーしながら演じきってくれました!笑
 おじぃちゃんと2ショット。
近所の教会の牧師さん。上は20歳、下は6ヶ月、15人の子どもを持つ、色んな意味でとても元気なおじいさん。
卒業していく子どもたちと残る子どもたち。

親と一緒に家に帰れる子もいれば、捕まって依頼家族と連絡が取れていない子も数名いる。そんな子は、引き取ってくれる親類などが見つかるまで帰られない。










笑顔で去っていった子どもたち。更生学校に入る前は泥棒だったり、ストリートチルドレンだったり、登校拒否だったりしてた子どもたち。

しかし、それは必ずしも彼らが好きで選んだ道ではない。親がいなかったり、経済的に貧しい家庭環境だったり、様々な要因があり彼らはワムム更生学校に来た。

卒業し、家に帰ってもその厳しい環境が変わっている訳ではない。進学や就職ができるという保障もない。でも、ワムムで学び、たくさんの仲間たちを作ったこの子たちなら必ず元気に笑顔で大きく成長してくれるだろう!

Winners Never Quit. Quitters Never Win.
もう会えることはないかもせんけど、また会う日まで頑張れよ、ワムムボーイズ!!!

2011年11月23日水曜日

祝・HEART ni SHOOT ~Kenya Inter-Rehab Cup~


ケニアの青少年活動隊員の配属先は主に3種類ある。

・Children's Rescue Centre:貧困、親なし、ストリート生活など様々な理由で保護された比較的年齢層の低い子どもの保護施設。

・Remand Home:犯罪を犯し、裁判所の判決待ちの青少年を保護する施設。

・Rehabilitation School:裁判所の判決により3年間の更生を命じられた17歳までの青少年がいる更生学校。

現在、ケニアでは7名の青少年活動隊員が活動中。


そんな施設の子どもたちを一堂に会したサッカーイベント”HEART ni SHOOT”が先週の土曜日に開催された。


今までこの”HEART ni SHOOT”と呼ばれるイベントは、協力隊員がケニア各地の隊員の任地で単独で行われてきた。しかし、今回は今までとは一味違う。


それはイベントの規模。Rescue Centre(1校)、Remand Home1校)、Rehab School(5校)、日本人学校(1校)の選手、先生とJICAボランティア、総勢400名以上が招待されたのだ。開催地は、ベンゾーさんの任地のカベテ更生学校と、道を挟んだ向かいにあるマサルの任地のゲタズル更生学校。


今大会の目的は
・生徒たちの健全な精神的、身体的育成および更生活動の一環。
・日頃の練習の成果を発揮する場所の提供。
・他の更生学校の生徒同士、先生同士との交流。そしてケニア&日本の交流。


これだけ多くのチームが参加するという事で、試合数も多くなった。さらに、片道5時間以上かけて帰らないといけない学校もあったので、当日は朝からまさに分刻みのスケジュールで進行しなければならなかった。ケニアのポレポレ(ゆっくり)で時間にルーズな環境で、どれだけできるか心配だったけど、予定よりたった30分遅れで、大会を開始する事ができた。2~3時間の遅刻は日常茶飯事のケニアで、この30分遅れというのは上出来である。


大会は14歳以下のWadogo Cupと15歳以上のWakubwa Cupの2リーグに分かれて行われた。Wakubwa Cupには各学校のケニア人スタッフで構成されるTeachers Dream Teamと我々JICA Teamも参戦した。
※Wadogo:小さい人。Wakubwa:大きい人

開会式
日本人学校 v.s. オザヤ更生学校


マサル&同僚&ボーイズ
JICA Teamも参加
試合後:ワムム&ゲタズル
試合後:ケリチョ&ティカ
ムレンボ(美人さん)、いやカメラが大好きなボーイズ
表彰式&記念品贈呈
私の配属先のワムム更生学校はWadogoが健闘し、見事優勝した!Wakubwaは惜しくも初戦敗退し、ベンゾーさんの配属先のカベテ更生学校が優勝した。両リーグ制覇を目指していたワムムボーイズでしたが、これは次回の目標としたいと思います。


お昼にはカベテ&ワムム更生学校の職業訓練コースでベーカリーを選択している生徒が作ったバンズと呼ばれるケーキ、バナナ&ソーダが振舞われた。
ワムムボーイズが作ったケーキを食べるケリチョボーイズ


以前はこのような更生学校間の大会がケニアの省庁主催で毎年行われていたようだが、ここ数年は資金面のサポートがなくなり、大会自体がなくなっていた状態であったようだ。


当日はケニア人の生徒も先生も、日本人の生徒も先生も、JICAボランティアも、本当にたくさんの人たちの笑顔で溢れた良いイベントだったと思う。さらに嬉しいことに、生徒も同僚たちも、”来年はもっと練習してトロフィーを自分の学校に持って帰る!!”と次回開催に意欲満々であることだ。このようなイベントを継続して開催したいと思っている我々隊員にとって、これ以上に嬉しい反応はない。


この様なイベントは彼らの更生学校生活に目的意識を与えたり、日々の活動により肯定的に取り組むモチベーションを与えるといった点で大きな意味があります。


更生学校で活動している隊員にとって、”目に見える成果は何か?”と聞かれると、正直悩んでしまう。しかし、ケニアという国が抱える貧困、教育、病気、文化的負の遺産という問題を凝縮したような複雑な背景で育った子どもたちから一瞬でも長く、一つでも多くの笑顔を引き出せたなら、それが我々の成果なのだと思う。我々と過ごす2年間という時間の中で、子ども達が学んだこと、感じたことが彼らが大人になった時、心のどこかの片隅にでも残っていれば良いなと思う。


話が少しそれてしまったが、今回のイベントは、我々青少年活動隊員だけでなく、配属先の同僚、JICA関係者の皆様&同日駆け付けてくれた協力隊員のみんな、そして日本から資金面で大きく支援して下さった皆様のサポートにより無事、成功させることができました。支援してくださった皆様に、この場をお借りして深く御礼申し上げます。本当にありがとうございました!そして、次回開催のご連絡ができるよう、日々任地での活動を大切にしていきたいと思います。


【ハート ni シュートに協賛していただいた方々】

 西巣鴨中学校地域スポーツクラブ 岸弘之様 
http://blogs.yahoo.co.jp/takumi_kishi 
http://www.toshima-taishi.com/sports/sc_nishisu.html 

 萩中・羽田サッカークラブ 泉優二様 
http://volandol-junior.sblo.jp/ 

 大森キッカーズ 
http://oksc.web.fc2.com/ 

 林徹郎様 
http://www.volandol.jp/index.php 

 特定非営利法人 スローソサエティ協会 
http://www2.memenet.or.jp/slowsociety 

 ナマケモノ倶楽部会員 黒田瑞穂様 
http://www.sloth.gr.jp/ 

 ナマケモノ倶楽部会員 岡澤成郎様 
http://www.sloth.gr.jp/

2011年11月17日木曜日

HEART に SHOOT ~Kenya Inter-Rehab Cup~

みなさん、ご無沙汰しておりました!
気づけば2ヶ月もブログ更新してなかった!


なぜ?
この2ヶ月何も書くことがなかったのか?
いや、めちゃめちゃありました。ただ筆不精なだけ。すんません。


こんな私でもこれだけは書かずにはいられない。
なぜなら今週末、ケニア青少年活動隊員7名全員で企画、運営するサッカーイベント”HEARTにSHOOT”がナイロビで開催されるから。


開催場所はナイロビにある更生学校、べんぞーさんの任地Kabete Rehab. Schoolと、まさるの任地Getathuru Rehab. School。


開催日は11月19日(土) 8:30開会式。9:10 kick-off。


今までも何度かこのイベントは開催され、Wamumu Boysも参加してたけど、今回は最大規模。参加校/チーム
Rehabilitation School:5  (更生学校)
Children's Rescue Centre:1 (孤児院)
Remand Home:1 (裁判の判決前の少年拘置所)
日本人学校:1
更生学校の先生チーム:1
JICAチーム:1


U-14とOver-15のリーグがあり、Wamumu Boysは各リーグに1チームずつ参加。もちろん私もO-15のリーグにJICAチームの選手として参加。前回大会ではWamumu Boysに負けてしまったので(しかも失点は私のど・フリーでのトラップミスから)、今回は絶対に負けられない。生徒が相手であろうと、手加減はなし。体力とスピードでは敵わないので、技術と経験を駆使し、目指すはO-15リーグ優勝。


生徒たちもこの日の為に頑張って練習をしている。
そして、同僚たちも試合ができるということで、やる気満々。


当日はKabeteとWamumuにあるベーカリーの職業訓練の生徒たちが作ったパンが参加者に振舞われる予定。


外出する機会が決して多くはない更生学校の生徒たちにとって、このイベントで色んな人たちとふれあい、色々な事を学び、思いっきり楽しんで欲しいと思う。


そしてKids-Kidsの繋がりもそうであるが、Rehab.-Rehab.、Rehab.-JICA、Kids-Teachers、Kenyan-Japaneseの繋がりをさらに深めるイベントになれば最高だ。

2011年9月18日日曜日

Term Mpya: 新学期

9月から新学期が始まった。第1週目はナイロビで語学フォローアップ研修に参加していたので、任地にはおらず。(といっても、1週目は時間割を決めたり、教科書とか配ったり、先生が授業計画の作成に忙しかったりで授業は行われないのが通例。)

語学研修でさらに磨きをかけたスワヒリ語で今学期も頑張るぞーっと気合を入れた第2週目。実力テストの為、1週間丸々体育の授業はなし!

ということで第3週目(先週)からようやく授業が始まった。
今学期はSTD4~8までの体育、計8コマ(35分/コマ)とSTD4のC/A(図工・音楽)、計4コマを受け持つ。

今学期の体育はサッカーを中心としたボールゲーム。バスケットのゴールが完成したら、バスケも取り込もうと思う。
C/Aの時間は歌!
STD4の生徒たちは読み書きができない。なので、職業訓練の授業も受けられず、リリース(卒業)を迎えてしまう可能性がある子どもたちだ。

前の学期からこの時間には教科書を使って読み書きを教えていたが、なかなか上手くいっていなかった。という事で、今学期からは「歌を使って、読み書きをしよう!」という計画。

選んだ曲はBEGINの”島人ぬ宝”。子ども達も気に入ってくれたようで、今週はAメロまで辛うじて歌えるようになった。Aメロだけだが、この子ども達が頑張って歌ってる姿を見るだけで、ちょっと感動する。

12月にある親、地域のChildren;s Officerを招待するOpen Dayに発表する計画!

しかし、この曲の歌詞とそのニュアンスをスワヒリ語で説明するのはなかなかChallenging。

2011年9月12日月曜日

Mwea Classic Marathon ~Smell the Rice~

昨日、任地のMwea地区で開催されたMwea Classic Marathonに参加してきた。同期隊員のたくさんも一緒だ。

二人とも人生初のハーフマラソン。21km。
ワムムボーイズも26名が10kmに参加。

走るコースはMweaの誇る広大な水田地帯。
コース全体は平坦だったけど、残り3kmぐらいず~っと続くゆるやかな坂道が、もうかなりきつかった。

タイム:1時間34分。順位:121位/319人(男子のみ)。

今まで10km以上走った事がなかったので、今回は自分の身体がどこまでもつのかに挑戦する気で臨んだ。

スタートの合図と共に一斉に駆け出す約400人以上のケニア人と日本人2人。みんなスタートからめちゃめちゃ早かった。100mぐらい走り会場を出る時には、自分は後ろから何番?ってな感じだった。

でも21kmの長丁場。焦りは禁物。
一歩ずつ自分のペースを作り、前を行くランナーを追いつく目標として、追いつき、追い抜く。そしてまた前のランナーを目標として追いつき、追い抜く。この作業を5km地点ぐらいまで繰り返す。

この地点まで来ると、前を行くランナーも徐々に手強くなってきて、追いついても追い越せない。最終的には自分のペースよりも少し早く走るケニア人女性に頑張ってついて行くことに決めた。

始めは彼女に遅れないように呼吸と歩みのペースを合わせるのが精一杯だったけど、体が慣れたのか、いつの間にか彼女の早いペースが自分のペースとなっていた。

それでもやる事は変わらない。前のランナーを目標として、でも自分のペースを乱さずに。呼吸と足と腕の振りに意識を置いて走る。

”こんなペースで走ってしまって最後持つのか?”という思いに何度も襲われたが、”やってみんとわからんやん?"と自分に言い聞かせ走った。

10km過ぎあたりで、ケニア人男性が1人加わり、3人で走った。

そして15kmぐらいで広い広い水田地帯を抜け、一般道に出た。
ここからランナー泣かせの最後の上り坂。

ここまで自分より速いペースで来てたので、この時点で、脹脛と太腿の筋肉が限界に近い状態にあることは分かっていた。

今までは平坦なコースだったので惰性と気力でペースは保てていたが、ここからは坂道。同じペースで走るためには、今まで以上に筋力がいる。遅れそうになる私に、2人の”We are almost there.”という声に励まされ、どうにかついて行くが、残り3kmぐらいでペースがどっと落ちた。というか落とさざるを得なかった。
脹脛も太腿も背中も一歩を踏み出す度に”もう無理、無理、無理。攣る、攣る、攣るぅ><”と悲鳴をあげている様だった。

最後の1kmは近所の子どもたちが俺と会場まで伴走してくれて、無事に一度も歩くことなく21kmを完走する事が出来た。

ゴールし立ち止まった瞬間、自分の足が2本の細い棒になってしまったようだった。上手くバランスが取れず、辛うじて立っている状態。駅伝やマラソン選手がゴール後ぶっ倒れる感覚はこういうことかと思った。

21kmは自分が想像していた以上に長くきつい道のりだったけど、走った後の達成感と爽快感は何物にも変えがたい。
しかし、翌日に襲われる筋肉痛は尋常ではないのも確か。

目標を設定し、それを一つずつクリアする

自分の心と体に耳を澄まし、身体と会話をする

自分が思っている自分の能力(100%)の120%の場所で踏ん張る感覚

ペースの落ちてきたランナーも俺に追い抜かれる事で、もう一度息を吹き返したり

それぞれの辛い時間帯に片方が前に出て、相手を無言で鼓舞したり

マラソンは個人競技ではあるが、決して1人では走れない。
そんなスポーツだと思う。ん~なんか人生みたいやな。

やればやるほど、奥が深い。だからしんどくてもまた走ってしまうんだろう。

次はNairobi Marathon!
そして人生初のフルマラソン、42.195kmに挑戦予定。

2011年8月3日水曜日

Smile Africa Charity Run!

Sports Dayの筋肉痛がまだ癒えきっていないその週末。
7月31日、ケニア最大のキベラスラムで行われたマラソン大会に参加してきました!

"Smile Africa Charity Run!"と題されたこの大会。
今年で3回目を迎えるこの大会。

毎年、このマラソンの時期に合わせ、
日本からの靴に大喜び!
Wamumu Boys!
高橋尚子選手を中心とした"Smile Africa Project"のメンバーの方々が日本中に声をかけて、使わなくなった運動靴を集め、アフリカに届けてくれている。

私の任地、ワムム更生学校も、今回、70足の運動靴を頂いた。
いつもグランドでは裸足だった子どもたちも、
今は、日本から届いた靴を履き、毎日走り回っている。





今回は会場にKESTESブースも出させてもらう事になり、KESTESメンバーとして10km Runに参加!
※KESTES:Kenya Students' Educational Scholarship。協力隊員により運営されているケニアの子どもを対象とした奨学金制度





 今回参加したJICA関係者!総勢。。。大勢!!

 Qちゃんと記念撮影!
キベラスラムを横目に走る今回のコース。
コースは未舗装で、石や砂利やらでぼこぼこな環境。

8時予定から2時間半遅れでのスタート。まさにケニアっぽい。

コース途中から、キベラの子どもたちも参戦。
スリッパや裸足で、ランナーたちの伴走、
コース脇からは、子ども達が"むじゅんぐぅ~"と声援をくれ、
コースを横切る牛達と牛飼いの人と挨拶など、スラム街ならではの雰囲気を楽しめた。

一番驚いたのは、コースにゴミが全然落ちていなかった事!
聞くと、大会前日にスラムの住民の人たちが、ごみ拾いをしてくれていたとの事。
左がキベラスラム。 

閉会式でQちゃんが”みんなで楽しく走るためには、まず、ごみを捨てないことが大事。”と良い事を言っていた。

スポーツを通じて、きれいな街づくり、環境教育!
少しの人にでもいいから、このメッセージが届いてたらいいなぁと思う。

マラソンの結果は、48分45秒で10km完走!!
2年前に日本で走った三浦マラソン大会はたぶん、43分ぐらいやったはず。。。

まぁ標高1700mのナイロビ、未舗装のコースやったことを考慮して、まずまずの結果という事にしておこう。

次は9月10日、任地のMweaである"Mwea Classic Marathon"。
ハーフに挑戦しようか悩み中!

22-1エチオピア隊からさとぴぃも参戦!
日本人の中でぶっちぎりの1位!

Sports Day

早いもので、ケニアに来て3度目の学期が終わった。
ケニアは3学期制で、1月から1学期が始まるので、今は2学期が終わったところ。

ということで、学期最終日は恒例のSports Day!

午前中は生徒のドミトリー対抗、陸上競技。
競技種目は、
100m、200m、400m、800m、
1500m、3000m、5000m、10000m、
5000m競歩、砲丸投げ、円盤投げ、槍投げ、
高飛び、棒高跳び、3段跳び、
4×100mリレー、4×400mリレー。


棒高跳びNo.1のルサラ君!

グランドを25周する10,000m!!
日本の体育祭のように、みんな均等に競技に参加できる感じではなく、ケニアは得意な生徒を走れるだけ走らせるというシステム。

10000m走の後すぐに400m走に出て、その後また5000mを走る生徒もざらにいた。一体彼らの体力に底はあるのかと、改めてケニアの子ども達のタフネスを実感した。

そして走れるスタッフは出たい種目だけ飛び入り参加する仕組み。
私も同僚たちとチームを作り、4×100mリレー、その直後、4×400mリレーに参加しました。

リレーのチームを編成中!
平均年齢32歳ぐらいのスタッフチーム。まだまだ俺らは若いぞ!と自負しているスタッフチームであったが、十代半ばのぴちぴちのBoysにかなう訳がなく、結果は100m、400mリレーともにどべ。

100mリレーは、僅差の結果だったが、400mリレーは悲惨だった。

日常で400mを思いっきりダッシュする事はまずない。なので、ペース配分、呼吸方法、そして自分のスタミナの限界がわからない。

初めの150mぐらいは調子が良い。生徒にも負けず劣らずな感じ。150m~200m、だんだん息が上手く出来なくなり、肺が取り入れる酸素量と筋肉が必要としている酸素量のバランスが崩れる。
200m~400m、指先と足が段々冷たくなり、感覚が薄れていく。最後はきっと白目剥いてたんちゃうか思うぐらい苦しかった。

その後の食事、リレーメンバー4名中2名の同僚がご飯が食べられない状況に。。。ぽーれ。。。

食事後は、生徒v.s.先生のサッカーの試合。
これも3-0で完敗。。。

その翌日は生徒v.s.先生のバレーボール!
15ポイント制で始まった試合。
1-1で迎えた3セット目。15点を生徒に先取されるも、これぞ先生の権限!
急遽25ポイント制に変更!
すると、先生チームが3セット目をとり、2-1で勝利!

いやぁ、生徒も先生も走りに走り回ったSports Day!
生徒も先生もみんなが一つになってた感じが、何より良かった。

2011年7月18日月曜日

Majiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii!!!!(水ぅぅぅう!!)

今日は久々に任地で迎える日曜日。
散らかった部屋をずっと片付けよう片付けようと思ってはや数週間。。。

「散らかった部屋は今の精神状態の表れ。」だと誰かがよく言っていた。

という事で、今日は家の大掃除を決行!

洗濯物の片付け、家中の掃き掃除、散らかった書類の整理、本棚、食器の整理、ごみの片付け。。。

その間に近所のマダムが我が家の庭にあるマンゴー狩りに来て、近所の子ども達が家に遊びに来て、10時から始めた掃除が終わったのが15時。

それから、料理では欠かせない存在となったニンニクと唐辛子がきれてしまったので、タウンへ行く事に。

タウンのsoko(市場)に行き、買い物を済ませ、SokoのMzee&Mazee(おっちゃん&おばちゃん)と世間話。

昼ご飯を食べていない事に気づき、タウンのhoteli(レストラン)でちょっと早い夕食。

ケニアプレミアリーグを見ながら冷たいビール。牛肉スープ&ムキモー。最高でした。

まだ時間も早いから、顔見知りの店員と世間話。

”なかなかええ休日やったなぁ”とワムムに帰ってきて、
家のドアを開けようとしたとき、家の中から水の音が。。。。。
しかも、結構な勢い!!!

あれ?ワムムの家の蛇口からは水は出ないはずでは?と思った方、ここ最近、週末になると蛇口から水が、しかも透明な水が出るようになったのです。

週末だけとは分かっていても、ついつい平日にも蛇口をひねってしまう。でも、もちろん平日には水は出ない。んで、勝手にがっかりする。そんな事をしているうちに、きっと蛇口を閉めるのを忘れてしまったのか?または、締めが緩かったのか?

嫌な予感がしつつもドアを開けると、やっぱりそこは一面、水だらけ。

こんな経験は前にもあったけど、今回は相当な推量!
台所の蛇口から出た水はリビング、そして廊下を経て、ゲスト用の寝室までに達していた。

てなことで、手ぬぐいで水掃きを始めたけどno use!!!
全く使い物にならない。

雑巾はないし、このまま手ぬぐいで続けると朝までかかるし。
結局手にしたのは、2010-11の年末年始のモンバサ用に買ったタンクトップ。あれ以来、一度も着ていないから、もう着る事もないだろう。

一体何回、絞っただろう。手がふにゃふにゃになり、皮めくれかける寸前。すでに腕が筋肉痛。。。。

結局、バケツ6杯分の水(120L相当)を拭き取った。

リビングに敷いてあるビニール製のカーペットの下にまで入り込んだ水も掻き出し、19時から始めた作業が終わったのは21時20分。

午前中に大掃除はしたけど、廊下のコンクリの水ぶきはしてなかった。

きっと掃除の神様が「やるんやったら、とことんやらんかぁ~!」と言ったんだろう。まぁ、お陰さまで、ワムム赴任して以来、一番に家が綺麗になったから、結果オーライか。

濡れたカーペットはやっぱ天日干しせんと、カビ生えるかなぁ><

ほんまに、水は出なかったら不便やけど、出たら出たで油断大敵。

2011年6月22日水曜日

Mwaka Mmoja ilipita: 1年経ちましたぁ

みなさん、ご無沙汰してました!元気でしたか?

ここ数ヶ月、ブログの更新をしてませんでしたが、私は元気でした!昨日も夜道で蛇を踏みつけるというケニアっぽいハプニングがありましたが、無事です。笑 

今日、6月22日でケニアに来てから1年が経ちました!
考えてみると、海外で2年目を迎えることは初体験。

いやぁ、振り返るとほんまにあっちゅう間。
この1年、初体験のオンパレードやったなぁ。

家の水道から水の出ない生活。濁ってる水。
靴からサソリ。ナイロビでスリ被害。ヘビを踏みつける。

これだけやったら良かった子みたいやな!

もちろん楽しい事、嬉しい瞬間も沢山ありましたよ。
それと同時に、嫌な事、腹立つこともありますが、
そこはケニア人を見習って、気にしない事にしてます。

残りの1年もさらに速度を増して過ぎていくんやろな。
数えると実は後、3学期しかないし!

先週あった中間報告会。同期隊員の活動の様子を聞いて、
”みんな、すげぇ”と思ったし、正直、”負けてられへん”とも思った!

これからは「ケニアに来てから”何ヶ月経った”」とカウントアップする日々から「帰国まで”あと何ヶ月”」とカウントダウンする日々になっていく。

今まで自分のしてきた活動、築いた環境に+αを加えて行きたい。生徒と向き合い、同僚たちとも向き合い、一緒にいる時間を増やし、一日一日大切にいこう。

てな訳で、ブログもこれから更新していきまぁす。

2011年4月5日火曜日

Bili ya Stima:電気代の請求書

毎月、電気代の請求書がくる。

支払いは最寄の郵便局の窓口で。

日本だとコンビニへ持って行って、請求された分全額を支払うのが普通。でもここはケニア。少し勝手が違うという事に最近気づいた。

請求書を職員に渡すと毎回、
”Ngapi?(なんぼ?)”と聞かれる。

何も知らなかった私は、”何言うてんねん、兄ちゃん。金額ここに書いてるやんかぁ。なんで毎回毎回わからんねんっ!”と思ったりしてた。


”Ngapi?(なんぼ?)”は”Utalipa kiasi gani?(いくら分払う?)”という意味で聞かれていたようだ。


兄ちゃん理由も知らず、ごめんやでぇ~。

つまりKES200請求が来てても、手持ちがなければKES100だけ払い、残りは次月に繰り越しが出来るらしい。

”Balance Brought Forward”の欄に記載されている金額が「繰越未払い金」を意味していたらしい。

私の請求書には赴任当初からこの欄に金額が記載されていた。
知ってたけど、知らんふりして未払いのままにしてたけど、何か気持ち悪いから、先月繰り越し未払いも含めた全額を支払った。

今月も同じように請求書が来た。
請求額”KES -21.70”

マ、マイナス?どういうこと?

2011年3月30日水曜日

Harambee NIPPON!!

ケニアには”Harambee”という言葉がある。

意味は「せぇ~のっ!!」とか「よぉっこいしょ!」とかの掛け声。そこから派生して”みんなで助け合い”といった意味合いで使われる事が多い。ケニアの国章の下にもこの言葉が刻まれている。

その昔、ケニアから隣国ウガンダまで通じる鉄道を建設中、作業者達が”harambee, harambee”と掛け声をかけながら気持ちをひとつにして協力し合ってい重たいレールを運んでいたような。この一致団結して様子を見ていた初代ケニア大統領Jomo Kenyattaがこれをケニア国に比喩し、国章に取り入れたとか。

この精神はケニアの色々なところに生きている。
(まぁ活かされてない点も多々見られますが、その話は置いといて。。。)

例えば高校。National(県立), Province(州立), District(区立), Private(私立)と別に”Harambee”という区分がある。これは経済的に豊かでない学生達をその地域の人たちが少しずつ寄付をし、学費を助けている学校のことである。

ワムムの日常生活にもこの”Harambee”はある。主に冠婚葬祭。

例えば”同僚の息子が入院した!さぁ、みんなで少し看破しましょう!”的な。

今回の東日本大震災。ケニアから遠く離れた私の母国で何が起きているのかワムムのスタッフ、生徒にも知ってもらいたくて、被災地の現状、日本でなぜ地震が多いのか、津波がなぜ起きるのか、原発ってHIROSHIMA, NAGASAKIで有名な原爆とは違うんだよ、とかを写真や画像を使いながら説明した。

スタッフも子ども達も真剣な面持ちで、私の拙いスワヒリ語とジェスチャーと板書に耳を傾けてくれた。

そしてJICAが義捐金の窓口をしている事を話すと、毎朝のスタッフミーティングで”是非ワムムのスタッフからも出そう。”と提案してくれ、多くのスタッフから募金と”ガンバレ日本!復興の日は絶対に来る!”などの言葉を頂いた。

彼らの気持ちが被災地で電気となり、食料となり、物資となり、厳しい環境で避難生活を送られている人々に少しでも温かさとなって伝わればなと思う。

ケニアにいる日本人の中でもTシャツ(デザインは同期のガッツ隊員)、メッセージ、募金やら色々プロジェクトが動いている。

ケニアだけじゃなく世界各国で活躍している協力隊員や企業の人たちが、それぞれの想いを抱き、色々な人を巻き込み、色んな形で日本を応援しているという話をたくさん聞きます。

隊員の多くは派遣前訓練で福島県の二本松市の色々な方々にお世話になっています。任国から帰ったらまた元気な東北、元気な福島に行きたいと思っている隊員も多いはず!

震災前は「日本という国は国際舞台でいまいちぱっとしてないなぁ」と思うところが多々ありましたが、震災後感じた事は、政府レベルでも民間レベルでも、個人レベルでも日本、そして日本人には味方が、仲間がたくさんいるという事。自分が被災した訳でもないのに、すごく心強く感じたし、励まされました

世界中が今、日本へ”Harambee”してます!

Harambee NIPPON!


この震災で亡くなられた多くの方々のご冥福を祈るとともに、被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。

 
一日も早く復興の日が来ますように。

2011年3月29日火曜日

ワムムボーイズ大躍進!

Primary Schoolの学生を対象としたスポーツ選抜会が3月の頭から始まっている。

始めは周辺の小学校4校で試合をし選手を選抜。次の週に地域を広げ選抜選手同士で試合をし、また選手を選抜し、より良い選手を篩いにかけていく。

てな感じで3月は試合の毎週連続でした。

先週はKerugoya地区代表(日本で言うと県代表ぐらいでしょうか?)を選抜する試合がありました。

Kerugoya地区に属する選抜4チームが勢ぞろい。
Kerugoya Central, Kerugoya East, Kerugoya West, Kerugoya Southの選抜チーム同士での試合が行われた。
ワムムボーイズはKerugoya Southとして参戦。1チーム15名のうち、なんと11名がワムムボーイズ。

正直、これまでの試合の相手はサッカーというよりも球蹴り。パスを繋がず前方へ大きく蹴り出すだけのスタイルの選手が多く、トラップ、パスで一枚上を行くワムムボーイズが多く選抜されたのも当たり前のように感じていた。

しかし、県代表レベルになると、上手い選手もちらほら。
でも今まで共に頑張ってきたボーイズを、ここで勝たせたい!ここで選ばれさせたい!そんな思いで試合中もコート際から大声で指示を送った。

試合はトーナメント制で2試合。
ディフェンスの不安定さ、コミュニケーション不足が気になっていたが、前日の合同練習で少し改善されたみたいだった。

初戦はKerugoya South v.s. Centralとの対戦。

後半、DFのマフタ君(ワムム)のクリア?適当に蹴った?ボールがそのままちびっ子GKの頭上を越えラッキーゴールで先制。

後半終了間近、俊足FW、ジョニー(ワムム)が相手DFの裏に抜け出しGKと1対1になりかけたその瞬間!DFが思わずジョニーの足をかけペナルティーエリア内でファール。これで得たP.K.をムニャカ(ワムム)がきっちり決め、試合終了。2-0で勝利!

2試合目(事実上決勝戦)。South v.s. East

前半早々、FWだけどいつもトップ下気味でプレーするジュマ(ワムム)とジョニー(ワムム)がワン・ツーで相手DF陣を破り、先制点。

後半、DF陣に疲れが見え始め、何度もピンチを迎えるが辛ぎりぎりの所で失点を阻止し、試合終了!!1-0勝利。

見事Kerugoya地区No.1に輝いたSouthチーム!
後は閉会式での選抜選手発表の結果を待つのみ。

結果はワムムの生徒5名+同じSouthチームから1名がKerugoya地区代表として選抜されました。

”なんであいつが選ばれて、あいつが選ばれてないん!?”とつっこみたくもなりましたが、結果は結果。選ばれた選手達を来週の試合に向けてビシバシしごいていこう!

来週はProvince代表を選抜する試合がある。
日本で言うと近畿代表とか関東代表とか。

さて、来週ワムムボーイズが生き残れるか、見ものだ。

2011年3月15日火曜日

East Japan Great Earthquake:東日本大震災

まず、今回の震災で被害に遭われた方々に謹んでお見舞い申し上げるとともに、犠牲になられた方々とその後家族の皆様に対し、深くお悔やみ申し上げます。

スワヒリ語ではTetemeko la Ardhi(地球の揺れ)と言う。

M9.0、観測史上最大の巨大地震が東日本を襲った。
このニュースは大使館やJICAからの連絡で知らされた。

それからはtwitterやインターネットで続々と更新されるニュース、被災地の写真、動画、原発の状況。時間の経過と比例して増加する死者の数。

そんな状況をただただ見つめる事しかできない自分。
今はできるだけ多くの人が無事に救助され、原発の被害が最小限に食い止められる事を祈る事しかできない。

そんな中、facebook、emailなどを通じて世界中の友人から連絡が入った。
”Hiroki大丈夫?家族と友人は無事か?”
”私も日本のために祈りを捧げます。”
”日本は強い国だ!必ずこれ以上に素晴しい国に復興できると信じている!頑張れっ!

ここケニアでも、新聞の一面&見開き一面に今回の地震の特集が組まれ、職場の同僚からも、”今回の地震は本当に残念だ。””俺たちも一緒に祈っているから”などの言葉をかけられた。
ケニアのモンバサにも地震発生後から24時間ぐらいに小規模な津波が到達した。

ワムムの生徒たちにも写真や画像で地震と津波の様子を説明した。崩れ落ちた家、押し寄せる巨大な津波、押し流される車、大火災、一夜で姿を消した町などの衝撃的な映像に子ども達も言葉を失っていた。

”先生、気ぃ落としたあかんで!”
”神様が絶対助けてくれるから!
”僕らも日本のために祈ってる!”と、子どもたちの温かい言葉に
元気付けられる。

現在、94の国や地域、9つの国際機関から支援の申し出があり、各国の救助隊が日本に続々と到着している。

日本は一人じゃない!こんなに多くの国が、そしてその人々が日本とともに戦ってくれている、祈ってくれている!

あまりにも多くのものを、大切な人を一瞬にして奪い去った今回の地震と津波。何度も何度も襲う震度5レベルの余震、原発からの放射能漏れ。被災地でまだ避難生活を続けている方々の心境は私の想像の範囲を遥かに超える壮絶なものでしょう。

こんな時だからこそ、日本だけでなく世界にいる日本全国民が手を取り合い、思いやり、助け合い。

ケニアにいるから何も出来ないんじゃなくて、ケニアにいるからこそ日本のために出来る事を考えていきたい。

東日本の一日も早い復旧、復興を。被害に遭われた人たちに、心の安らぐ生活が一日でも早く訪れる事を心より祈ってます。ほんとうに。

2011年3月8日火曜日

Good LucKenya @ にゃふるる!

今週末は同期のヨーコ隊員が活動するニャフルルのNyandarua Boarding Primaryで開催された”第2回Good LucKenya"に参加した。

標高2,300m以上の高地に位置するニャフルル(ワムムは標高1,000m)。空気も薄く、少し走るだけで心拍数がぐっと上がる。日中の日差しは強いが、朝晩はぐっと冷え込む。半袖半パン&布きれ1枚で寝れるワムムとは大違い。
そんなニャフルルで金&土の2日間にわたって行われたGood LucKenya。私はこの2日目のみに参加してきました。

1日目は同期のエイズ対策隊員達によるHIV/AIDSワークショップ&先輩隊員による空手教室。昨年12月にワムムで行ってくれたワークショップよりもさらにグレードアップした内容だったみたいなので、是非とも参加したかったのですが、活動&移動距離の都合で断念。ワークショップの様子は彼女達のブログでチェック!
主催者の美人小学校教諭ヨーコ隊員。ワムム男子を魅了したHIV/AIDS対策ガッツ隊員&マリ隊員

2日目はJOCVを交えたSTD6~8のクラス対抗サッカー&バレー、そしてダンス交流会。

他の同期隊員と学年を割り振り、準備体操から開始。

私はSTD8(中2ぐらい)を担当。全校生徒115名(全員男子)で一学年30名前後のワムムでとは違い、一学年で優に100名以上を超えるニャンダルアボーディングプライマリー(男女共学)。

いつもの調子で「はい、円になってぇ」と手を繋ぎながら広がってみるとサッカーコート半分ぐらいの巨大な円になってしまい急遽作戦変更。

「じゃぁ、今度は皆で真ん中に集まろう!わぁ~い」っと、あたかも初めからアイスブレイク&ジョギングの要素を取り入れていたかのように誤魔化してみた。それにしても皆人懐っこくて、簡単な体操だけやのに、きゃっきゃ言いながら、目をきらっきらさせながら、してくれました。ほんま子どもは可愛えぇなぁ、と体操しながら勝手に癒されてました。これもひとえにヨーコ隊員の日頃の生徒ととの良好な関係のおかげ。
 
その後は、近所のNGOで活動している日本人&たまたまニャフルルで高地トレーニング合宿をしていた日本トップレベルの実業団マラソン選手も参加して、ケニアの子ども達とサッカー&バレー。



















試合の合間には応援している子ども達と一緒に世間話&日本語教室&キクユ語教室。お互いの言語での挨拶&1~10までの数え方を試合終了までみっちり教えあいっこ。
”いち、にぃ、さん、しぃ、ごぉ、ろく、しち、はち、きゅぅ、じゅぅ”とケニアの子ども達。
それに続き、”エムエ、エゲレ、イダァト、イニャ、イダァノ、イダァダァト、ムグワンジャ、エニャニャ、ケェダ、エクミ”と私。

試合の後はダンス交流会。我々JOCVはピンクレディーのUFOとよさこいを披露。ダンスの完成度はともかく、子ども達はかなり喜んでくれた模様。それに続き、STD8女子によるダンス。

ん~、ケニアの子ども達はなんでみんなあんなに踊りが上手いのか。時間に正確な日本人が多いぐらいの割合で、ケニア人はダンスがお上手。

異なる人種、異文化との交流。
全力で楽しんだ子ども達&JOCV。

私のチクチク坊主頭や、ボーボーのすね毛、他の隊員のさらさらロングヘアーを触りながら、”Ngai, Ngai, Ngai(Oh God, God, God)”を連発していた子ども達。

必死で”もうかりまっか?””ぼちぼちでんなぁ”を反復・暗唱していた子ども達。

ケニアでは大変貴重なふりかけのかかったおにぎりを仲間と味わう優勝チームの子ども達。

五感をフル活動させて日本を、日本人を感じてくれたと思う。

UFO♪
よさこい
Nyandarua Dancing Girls



元気をいっぱいありがとう!ニャンダルア小学校!

2011年3月2日水曜日

ハートにシュート!

ケニアではJOCVとケニアの子どもたちとスポーツ等を通じた交流イベント”ハートに○○”というイベントが数年前からある。私の前任者の方も”ハートにホームラン”と題して日本人チームv.s.ワムムボーイズで野球イベントを開催していた。


そして先週の土曜日、ナイロビにあるゲタスル更生学校で”ハートにシュート”と題したサッカーイベントが開催されたので、ワムムボーイズを51人乗りバスに詰め込んで参加してきた。


試合形式はナイロビにある更生学校2校、ゲタスル&カベテとワムムの3つの更生学校による総当たり戦で、優勝チームがJOCV率いる日本人チームと対戦。


結果:
第一試合:カベテ○ 4 - ? ●ゲタスル
第二試合:ワムム○1 - 1 ●カベテ
          (P.K. 4 - 3)
第三試合:ワムム○ 1 - 1 ●ゲタスル
           (P.K. 3 - 1)
第四試合:ワムム○ 2 - 0 ●JOCV


ワムムボーイズが健闘し、JOCVチームまでも破ってしまった。試合を重ねるごとにパスのタイミングも良くなり、見ていても楽しかった。やはりいつもと違うプレッシャーの中でやるのは非常に重要だ。でも懸念していたDFラインの不安定さがやはり見られた。


私も第四試合JOCVチームのセンターバックとし参戦。2点目の失点はどフリーの私の自陣でのトラップミス(だってイレギュラーやってんもん!)からワムムNo.1の俊足FWジョニーに決められてしまった。


イレギュラーであったとしても(←ん?グランドのせいになんかしてませんよ、全然、これっぽっちも!全然気にしてへんし!)教え子の目の前でセンターバックとしてあるまじき凡ミス。かなり悔しくて(←やっぱ気にしてる)、ケニアに来て1番頑張ってダッシュしてみたが、俊足のジョニーに敵うわけもなく。。。


週末ナイロビで用事があった私はそのまま残ったが、帰りのバスの中は歌あり、踊りありと大盛り上がりだったようだ。


案の定、週明けに登校すると、
「先生、ワムム全勝やで!日本チームにも勝ったで!」
「試合前はぼこぼこにするって先生言ってたのにねぇ!」
「あれは生徒を想ってワザとミスってくれたんやろ?」
などなどのお言葉を生徒より頂きました。


しかし、「まさか日本チームが負けるとはねぇ。(”それだけボーイズは頑張った”の意も含め)」と言うと同僚に、「ひろき、冗談はよしてくれよ。初めから勝とうなんて思ってたのかい?はははは、気は確かかい?」的な事を言われた時はさすがに、「次のGameの時、絶対削ったるねん!」と心に誓ってしまいました。笑



次回はJOCVチームをワムムに招き、ワムムボーイズとのリベンジマッチを是非とも、企画したいと思う。


JOCVチームの皆様、その際は容赦なしでお願いします!笑


勝利に酔い、へらへらと調子に乗ったプレーが目立った今日のGame終了後、「お前ら何様のつもりじゃぃっ!!」っとばっちり喝を入れてきました。


今回の試合で、良い点、これから伸ばす点などが見えてきた。
彼らの個人、そしてチームとしての成長がまた楽しみだ。


試合前のお祈り


全試合後、JOCVチームと。

ワムムの応援団。試合より写真撮影に夢中。

2011年2月25日金曜日

WamumuをSport-ActiveなSchoolへ

 と題したプロジェクトを同僚と開始しようという話になった。

きっかけは本日行われたMwea地区の学校(primary level。日本で言うと小中レベル。)対抗スポーツ大会前の練習中。

サッカー、バレー、ハンドボール&ネットボールの試合が行われ、ワムム更生学校を含む4校が参加し、ワムムはネットボール以外に出場し、全ての競技で勝利した。といっても他の学校の生徒の年齢は12~15歳ぐらい。ワムムの選手は14~18歳。中学校の大会に高校生が混じっているようなもので、体の大きさもひと回りもふた回りも違うかった。

現在、ワムムには116名の生徒が在籍しているにもかかわらず、まともに使えるボールはサッカーボール1個&バレーボール1個のみ。
月、水、土&日のGameの時間も、限られた生徒しかプレイできず、他の50%ぐらいの生徒は参加したくても参加できない状態が続いたいた。

しかし、今回の大会があるという事で急遽(大会の1週間前)にハンドボールのコートを生徒と作る事となった。

すると、今までスポーツに全然関心のなさそうだった生徒が実はすごく良い選手である事が判明した。今までGameの時間、椅子に座り生徒を眺めていた先生もGameに参加し、指導をする光景が見られた。

みんな、今までやらんかった訳ではなく、やりたくても設備がなくてやれなかったのだ。

これを機に、他の競技のコートも作り、Gameの時間には生徒の90%以上は何かのスポーツに参加できる環境を作らん?と、同僚の一人とこんな話になった。

「ただコート作って、子どもにゲームだけさせておくのもあれやし、担当の先生を作って、練習メニューノートとかも作って、最終的には生徒が自分で練習メニューを組み立てられる様にせぇへん?」と提案してみると、複数のスタッフから賛同も得られた。

ので、バレーコートの増加、バスケット、ネットボールのコートの新設する計画を立てることに。”陸の孤島”と巷のJOCVに呼ばれているワムム更生学校だが、幸い、敷地だけはやたらと広い。

先生&生徒とコートを作り、ゴールを作り、あとはボールの確保。
ボールはそこらへんの適当な店で安物を買うと、1週間もしないうちにパンクし使えなくなるという事は簡単に予想されるので、高くてもしっかりしたものを買いたい。

以前からボールの少なさには頭を悩まされていたので、この機会にJICAの現地業務費を利用し、申請してみる。

4月の学期休みからコート作りを開始し、来学期に先生&生徒の振り分けをする計画を同僚と立て、まずはマネージャーに提出してみようと思う。

サッカーや朝練の生徒だけでなく、やはりワムムの生徒全員に(好きな)スポーツが出来る機会を多く提供できる環境づくりに向けての第一歩が踏み出せそうだ。

Wamumu ”Sports-Active” Rehabilitation School Project

2011年2月24日木曜日

Wapakaji rangi:ワムムの塗装工

つい最近、ワムムの我が家の全ての窓の外側にも鉄格子(グリル)が設置され、さらに寝室の扉は木製から鉄製のものに付け替えられた。

24時間アスカリ(警備スタッフ、夜間は銃を携帯。)が常駐、警察の派出所的なものもあり、家の周りは金網で囲まれてる我が家。もともと安全面に関して文句はなかったが、JICAの方針で全JOCVの住居の安全強化が行われる事となった。

グリル&鉄扉の設置は完了したが、塗装が未完了のままだったが、ついに本日、塗装が開始された。

wapakaji rangi(塗装工)はsign writingの職業訓練のクラスの選ばれし4名の生徒たち。

今日と明日にかけて、窓と扉の色を塗ってくれる。

店先の看板など、手描きのものがほとんどのケニア。
ブロックづくりの家などの仕上げももちろん手塗り。

リリース後、彼らが立派な塗装工となる可能性も低くはない。
3人の生徒。中央左はセキュリティースタッフ。


寝室の鉄扉。これからこれが水色に塗られます。

2011年2月19日土曜日

Wikiendi@Wamumu:ワムムでの週末

1月、2月のスケジュール帳を見てみると、任地のワムムで過ごした週末は1月第3週のみ。それ以外はJOCVの委員会、新JOCVの歓迎会、歯医者などでずっとナイロビに上がっていた。

ナイロビで過ごす週末は楽しい。それぞれ人生経験が異なるJOCV。そんな人たちと交流、情報交換するのは楽しいし、非常に勉強になる。
食べ物も美味しいし。日本食もあれば、中華もあれば焼肉もあればイタリアンもあれば、インドカレーもあり、選び放題。

でも任地で週末を過ごす事も非常に大事。
週末の生徒たちは午前中の早い段階で仕事を終わらせ、15時からのGameの時間まではフリー。この時間は子どもらと交流する貴重な時間。会話を通じて、生徒のことを良く知れるし、生徒との距離もより一層縮まる。
大人である私(少なくとも彼らより)、外国人である私と話すだけであるが、Children Officerでもある副マネージャーに言わせると、これも立派なGuidanceの役割を果しているらしい。

そんな任地での過ごす週末には難儀なことが1つ。それは洗濯

ナイロビのJOCVが宿泊するドミトリーには二層式洗濯機がある。
なので上京する際は一週間の洗濯物をまとめて持って行って洗う。

任地にもちろん洗濯機なんてない。もちろん桶で手洗い。
一週間分の洗濯は水汲みも含め少なくても2時間はかかる。
指の節と節を強くこすりつけ合いながら洗うので洗濯後に皮が向けている事も。

日本にいる頃は、洗濯機でする洗濯すら面倒くさいと感じていたのに。それがどんだけ罰当たりな事であったか、と今思う。

さて、今からちゃちゃっと洗濯して、学校に行こう。

朝練する子どもたち