2011年1月24日月曜日

Rafiki wa Chuo Kikuu:大学の先輩

今日、家中の壁の塗装が施され、もうどの部屋に行ってもペンキの臭いが充満してて、軽くシンナー中毒になりそう。

”また明日来るから~”と、移動した家具、泥だらけの廊下、散らかりまくった台所をそのままにWahundi(大工)は17時ぴったしに帰っていきました。

それはともかく、先週末、同じ大学で同じサークルだった先輩とナイロビで会ってきました。

現在、南スーダンで日本のNGOの職員として働いているK先輩。
先日あった、南スーダンであったスーダンから独立するかを問う国民投票があったため、ナイロビの事務所で待機中とのこと。もしかするともうすぐ、新たに一国アフリカに増えるかもしれません。

カメラを忘れてしまったので、先輩の元気な姿を関係者の皆様にお届けできないのが非常に残念です。

ナイロビで、先輩の同僚(元JOCVウガンダ隊員。しかも新任のJICA Kenyaのボランティア調整員と隊員時代のお友達。)と3人でインドカレーを堪能しつつ、大学時代の話、南スーダンの話、ケニアの話などなど。

気を抜くとここがアフリカだという事を一瞬忘れてしまいそうになる。別れ際、このまま阪急京都線西院駅に向おかと思ったぐらい。

でもここは京都から10,000km以上離れたケニアです。

そんな先輩とも次会うのはいつになるのやら。。。と思いきや、また来週会います。次はカメラを忘れないように。

Wahundi:大工さん

こんな時間にブログを更新してるなんて、
お前仕事サボって何しとんねん!

そう思われた方、そうじゃないの。

今、wahundi(大工さんたち)が家の中を修理中で、その立会い中。

私の配属先はワムム更生学校はMinistry of Gender, Children & Social Developmentという省の管轄下。しかし、更生学校内のStaff Quater(スタッフの住宅区)にある住宅の管理はMinistry of Housingの管轄下。

んで、先週このMinistryから職員が来て、ワムムの全住宅の修理が必要な箇所をチェック。その翌日から修理を開始してくれてます。

屋内外の塗装、壊れたドアの鍵、ガラスの付け替え、天井の張替え、網戸の付け替えなどなど。これで我が家もさらに素敵になるはず。

まぁ、でも先週の作業開始から、結構つっこみどころが満載なのでその模様は後程、写真とともにご報告します。

つい今さっきも、
”Utufungulie kifulio cha mlango wa chuma huo.”
(ちょっとその鉄のドアの鍵開けてくれへん?)

と言われたので、鍵をあけ、鉄のスライドに手をかけると、ヌルッとそして心なしか温かい。

って思いっきりペンキ塗りたてやん!
そういう事はペンキを塗る前に言うてやんっ!

さっ、気を取り直し、午後の授業準備します!

2011年1月21日金曜日

Ubali:距離感

昨日は一日停電で、夜は何もする事ができず、20時に就寝。
ここMwea地区には水力発電所があるが、雨不足による計画停電なのか、何が原因かは分からない。

日本で停電なんて起きたら結構大事。
ケニアでは「あっ、またか」となれた感じ。電気湯沸かし器が使えず、料理、風呂などに支障はでるが、それほど困りはしない。

それにしても国によって人との距離感ってちゃうなぁ~!
(大木こだま師匠風。関西の人ならわかるはず。)

真面目な話、本当に違う。

日本は人に会う時は、会釈、お辞儀で挨拶をする。
欧米では握手、ハグ、ほっぺ同士のキスでご挨拶。
ケニアでは握手が基本。とりあえずその場にいる人全員と握手する。
ケニアでハグは基本的にない。あったとしても女性同士だけで、久々に会った時などの特別な場合。
男同士でも仲の良い同僚とは、単なる握手ではなく、ちょっと濃厚な握手をする。すごくノリの良い同僚とは胸同士を2回(片胸ずつ)ぶつけるハグに近い挨拶もする。

男女のハグは親子間、恋人同士が基本のようだ。

自己主張の面でも距離感の違いがでる。

日本では自己主張するときは、一歩ひいて、ちょっと控え目。
「和を以って貴しと為す」という聖徳太子の言葉があるように、全体の「和」を尊重するので、何か主張する時も、自分と異なる意見も尊重しつつ主張する事が多いと思う。(私のイメージですが。)
でも、頭ごなしに相手の意見を否定する事は少ない。

ケニアでは自己主張する時は、一歩前に出る。
日常生活でもこれは感じられるが、一緒にサッカーをするとすごく分かる。ボールを持つととりあえず自分でドリブルで仕掛ける。明らかな自分のミスでも相手に落ち度があると主張する、などなど。

注意して頂きたいのが、私が言いたいのは、ケニア人全員が前述のように自己中心的という事ではない。すごく周りに配慮があり、和を尊重するケニア人も数多い。「自己アピールの方法が上手い。」という事だ。

人は話している言語によって、人格とまでは言わないが、この距離感が変わる、という事がよくある。

日本人が英語を話している時は、日本語を話している時より、よりストレートに自分の意見を言ってたり、立ち位置などの物理的な距離感も近くなってたりする。

逆の場合もあり、欧米の人たちが日本語を話す時は、言葉だけではなく振舞いもいつもより謙虚になる。その姿が可愛かったりもする。

自分でもそれは感じる。
日本語で会話している時の自分、
英語で会話している時の自分、
ワヒリ語で会話している時の自分。
それぞれ色んな意味で距離感が違うし、無意識の内に使い分けているんやと思う。
スワヒリ語で日常会話している時は、日本語では笑わん様な普通の事でも、笑えたりもする。(これはマリ隊員っぽいって事か?笑)

文化も色々やけど、こういった言語的な文化もある。
なので、英語を話していても日本語的な文化を引きずったままだと、「ちょっとこの人、距離が遠いなぁ、何も言いはれへん静かな人なぁ」と誤解されたり、逆に日本語を話しててもスワヒリ語的文化で話すと「なんてこの人我が強いんやろか」と誤解される場合もある。

ただ単語や文法を覚えるだけが語学の勉強ではない。こういった言語的文化、距離の違いを理解する事も重要だ。

むしろこの文化と距離の違いを使い分けられれば、単語や文法なんて完璧じゃなくても、会話なんて全然成り立つし。

センター試験(マークシート方式)の英語で点数を取れても、実際に話せない。こんな生徒さんはきっと多いはず。
かといって言語だけ話せても中身、人格が空っぽなら意味がない。(自分の事の様で心苦しいが。。。)

前の勤め先の上司の受け売りだが、
「真の国際人になる為には、まず真の日本人でなければならない。」

これからもっともっともっと外に、世界に出て行かないと生き延びられない日本と日本人。

外を見て初めて内が見えてくる事も多い。

しっかりケニアを学び、日本を学んでいきたい。

2011年1月19日水曜日

Inaonekana Nzuri:好調なすべりだし

いやぁ、日に日にきつくなる日差しに毎日さらされ、ソマリ系、エチオピア系のケニア人と変わらないぐらい日焼けしてます。

”兄ちゃん、どこ出身や?インドか?”と聞かれる回数も徐々に増えてきてます。

寒波の影響で凍える寒さの日本とは違い、今ケニアは一年で一番暑い時期に入ってます。
(紅茶やコーヒーでも有名な通り、高地も多く、地域によっては寒い場所もあります。

今、ワムムのあるムウェア地区はマンゴーの最盛期。
市場では真っ赤に熟れたマンゴーがKsh10(¥15)で売られてます。

更生学校内で通りすがる人の10人中7人がマンゴーをかじりながら歩いてます。

私もそれにつられて毎日マンゴー食べてます。
一日一膳。一日二マンゴーぐらい。

左が市場で売られているマンゴー。

右の2つは我が家の裏になるマンゴーたち。これでももう食べ頃。








そんなこんなで新学期が始まって2週目。予想通り今週から授業が始まりました。

新しくSTD4(小4ぐらい)のクラスが増えたので、必然的に授業数も増えました。
体育の授業は前学期が4コマ/週だったのが、10コマ/週に。

今学期は器械体操を軸に組体操的なものに発展できたらと考えてます。五重塔まではいかんくても、三重塔を目標に。

でも、昨年の運動会で同期隊員と踊った”よさこい”を踊りたい!という声もちらほらあるので、創作ダンス的な事もできるかも。

でも活動は授業だけではないので、朝練、午後のゲームの時間など、どんどん攻めていきたい。

何が好調かと言いますと、私ではなくAcademic Sectionの同僚達。
始めの2週間は休みボケで授業はほとんどしないのではないかと、前学期の経験から予測してた私でしたが、その予測は良いことに外れた。

どのスタッフも自分の授業に時間通りしっかり行き、新しい時間割に慣れてない先生には「○○先生、今授業やで。」と呼びかけ、なかなか良い雰囲気。

この調子がこのまま持続できる雰囲気作りに努めよう。

2011年1月15日土曜日

Mazizi: Burial

キリスト教が国民の大半がケニアでは、日本のように火葬ではなく、土葬である。それをburial(埋葬式)と言う。

先日、同僚のお母さん(享年72歳)の埋葬式に更生学校のacademic sectionの代表として同僚達と参加してきた。

やはりケニアらしく10時ぐらいに開始の予定が、12時ぐらいから参列者の人たちが集まり、結局12時半から式は始められた。

まずは数人のpastor(牧師さん)によるお祈りで始まり、牧師さんが聖書を読みながら話をし、亡くなったお母さんの一生の経歴が孫により読み上げられ、みんなで歌を歌い。。。。
日本のお葬式のような雰囲気ではなく、新しい旅立ちを皆でお祝いするような、なんとなく和やかな雰囲気。

すべて民族語であるキクユ語で進められるので、何を言ってるかわ聞き取れないが、何となく「こんな感じのこと言ってるんちゃうかなぁ」という感じ。

息子、娘、孫、親戚、友人、ご近所さんを含め100名近い参列者が集まり、お母さんが皆から愛されていたんだなぁと感じた。

喪主である同僚の同僚としてスワヒリ語で自己紹介もした。

お母さんの家で行われた埋葬式の場所は、めちゃくちゃ田舎(ワムムを遥かに凌ぐぐらい)で、人生で初めて見る私(mzungu:白人)に参列していた皆さんは驚きを隠しきれないご様子。
そのmzunguが、これまたスワヒリ語を話すもんだから、さらに皆さん、さらに興奮して、色んな人に話しかけられました。
どこに行っても、wageni(客人、よそ者)を長年の友人のように歓迎してくれるケニア人のこの雰囲気はほんまに素敵。

”wageni ni baraka.(客人は祝福の証)”というのをよく耳にする。

3時間ぐらい続いた式の終わりに、家の庭に掘られた深さ2mの穴にお棺を運び、祈りを捧げる。
この時、牧師の言葉に合わせ参列者はその場で足元の土をつまみ、それを3回に分けて地面に投げる。日本のお焼香をあげる感じみたいに。

これは”大地から生を受けた命がまた大地に安らかに戻っていく”
という祈りの意味があるらしい。

そして参列者全員がスコップを順番に回し、お棺に土をかけて、穴を埋めていく。その間(30分以上)参列者はずっと歌い続ける。

式の後は、参列者にkienyeji、ピラフ、シチュー、チャイ、ウジなどご馳走が振舞われ、お腹一杯になり、それぞれが家路に着く。
男性達が先に食べ、女性の家族、ご近所のおばちゃんたちがその準備を手伝う。

開始時間が読めない、宗教、言語、形式など違いはあるが、故人をしのぶ雰囲気は日本の式と全く違いはなかった。

何事にも始まりがあり最期がある。

この一瞬に感謝し、この一瞬を大切に。

Mambo ya Masaa:時間感覚

今日、朝日新聞のニュースをネットで見ていると、こんな記事があった。
「東北新幹線トラブルで3時間。ダイヤ大幅な乱れ。」

先日のモンバサ旅行。ナイロビへの帰りのKR(Kenya Railways)の電車。
予定:出発19:00 到着 翌09:00
実際:出発19:00 到着 翌17:00

予定より8時間の遅れ。

打ち合わせのドタキャン、交通事情による大幅な遅刻が日常茶飯事のケニアでは、こんな8時間の遅れなんて何のニュースにもならないし、誰も文句も言わない。だって遅れることなんて計算のうちだから。

これが日本で起きてたら。。。

ただ事じゃない。

大学の異文化理解の授業で、各国の時間感覚を示したグラフを思い出す。

横棒があって、右端が”Punctual”、左端が”Not Punctual”

日本はドイツとならんで、横棒の右最端に位置していて、世界で最も時間に厳しい国として認識されている。
ブラジルとかのラテン系の国は左端にあったと思う。

もしケニアがこのグラフにあれば、左最端の”Not Punctual”を通り越し、きっと”Do not Mind at All”ぐらいいってるんちゃうかな?

時間感覚はその国の文化と諸事情が現れている。
小遣い稼ぎ目的でランダムに行われる警察のありえない交通検問。それに伴う絶望的な渋滞。自分の畑、家畜の世話などなど。

だからケニアの”Do not Mind at All”レベルの時間感覚も、仕方ない、時もある。

でも、もうちょっとTim Concernになれば、きっと色んなことがスムーズに進むのになぁ。

まぁ、こればっかりは国民性やから、しゃあないか。

2011年1月12日水曜日

Term Mpya:新学期

いよいよ今週の月曜日から新学期が始まった。

といっても日本のように始業式があったり、その日にクラス替えや、時間割の発表があったり、するわけではない。

ここはケニアっぽくpolepole(ポレポレ:ゆっくり)。

月曜日(新学期初日)
生徒たちが起きる時間は休暇ver.(7時15分)から学校ある時ver.(6時30分)になる。それ以外は休暇ver.と変わりなく、朝から子どもらに仕事を与え、それ以降、子ども達は完全放置。

火曜日(新学期2日目)
マネージャー、副マネージャー、その他の主任レベルのスタッフの会議が開かれる。そこで今学期の行事予定や方針などが初めて話し合われる。

12月に大量に来た30人以上の新入り生徒達のクラス分けを実施。

水曜日(新学期3日目:今日)
全スタッフ参加のミーティングがようやく開催される。
生徒をクラスの振り分けを発表。(前学期のテスト結果により進級か留年かが決まる。)
クラスが振り分けられるだけで、授業が始まるわけではない。
子どもは教室に行くが完全放置プレイ。

木曜日(新学期4日目:明日)
職業訓練の授業の日。
ざっくり短時間でオリエンテーション的な。
その後、子ども達は放置プレイ、きっと。

金曜日(新学期:5日目:明後日)
ようやく教科書、ノート、ペンの配布。
ようやく先生が今学期の授業計画を立て始める、きっと。
その間、子ども達は放置プレイ。

来週
ぼちぼち授業が始まる。。。

こんなポレポレな感じで新学期は始まります。
このポレポレに初めはイライラし、何で!?と思ったけど、
新学期を迎えるのはこれが2回目なので、「こんなもんなんだと」思えるぐらい。

これはケニアスタイルに順応してきた証拠だろうか。

一つ良い事もあった。
前学期のテストでSTD5(小5レベル)の生徒の過半数が読み書きが出来きない事が発覚。30名強の新入り君たちも11歳ぐらいの子が多く、読み書きが出来ない生徒もいるので、今までなかったSTD4(小4レベル)のクラスが作られた。
いわゆる、読み書きを徹底的に教えるSpecial Classだ。

12月にリリースされた生徒の中にも読み書きできない子もいたが、こんな生徒を一人でも少なくなれば素晴しい事だ。

前学期から引き続き、今日からまた朝練を再開した!
これから5時起きの生活が始まる!

起きるのはかなり辛いが、生徒と走った後の爽快感と朝焼けがたまらない!

Winners Never Quit.
Quitters Never Win.

Usisindwe na Mwenyewe! 自分に負けるな!
Audi yako ni Wewe Mwenyewe! 最大の敵は自分自身!

仮病の多い生徒達やけど、これを合言葉に毎朝、走ってます。

2011年1月5日水曜日

Mwaka Mpya 2011

明けましておめでとうございます!

昨年は本当に多くの人に出会い、多くの人に支えてもらい、
色々なことを学ばせてもらった1年でした。
日本の皆さん、ケニアの皆さん、ほんとうにありがとう!
今年もよろしくです!!!

今年、2011年も、もっと多くの人と出会い、一緒に笑い、怒り、喜ぶ。そんな一年にしようと思います。

年末年始は一週間ほど休みを頂き、同期隊員のいるモンバサへこれまた同期隊員と行ってきました!

モンバサからウガンダを繋ぐケニア唯一の鉄道"Kenya Railways"でナイロビからモンバサまで500kmの夜行列車の旅。
ナイロビを19時出発、モンバサ翌日11時到着(予定では9時到着)。



同期隊員とともにモンバサの海を満喫し、




魚と一緒に泳ぎ、


内陸では食べられない新鮮な魚介類に舌鼓を打ち、


マングローブの森で生命の力強さと美しさを学び、


新年は素敵なビーチで花火とともに祝い、
海から出てくる初日の出を眺め、


元旦にはモンバサ在住歴30年以上の日本人の方宅にお邪魔し、
餅入りのお雑煮、刺身、筑前煮を頂き、お正月気分を味わい、


帰りの電車は予定より7時間半遅れでナイロビに到着。
これもケニア旅行の醍醐味の一つかもしれない。
なんとモンバサ~ナイロビ21時間半の旅でした。

皆で、今年一年の目標を漢字一文字で表す大会も初日の出とともに開催されました。

 今年の目標は”樹”
大きな樹のように大地に支えられながら、色々なものを吸収し、
自分を創り、多くの実をつけ、色々な人が集い、
その人たちを繋げられるような一年にしたい!



バオバブの木


今年一年が皆さんにとって笑顔に満ち溢れた、飛躍の年になりますように!