2011年1月21日金曜日

Ubali:距離感

昨日は一日停電で、夜は何もする事ができず、20時に就寝。
ここMwea地区には水力発電所があるが、雨不足による計画停電なのか、何が原因かは分からない。

日本で停電なんて起きたら結構大事。
ケニアでは「あっ、またか」となれた感じ。電気湯沸かし器が使えず、料理、風呂などに支障はでるが、それほど困りはしない。

それにしても国によって人との距離感ってちゃうなぁ~!
(大木こだま師匠風。関西の人ならわかるはず。)

真面目な話、本当に違う。

日本は人に会う時は、会釈、お辞儀で挨拶をする。
欧米では握手、ハグ、ほっぺ同士のキスでご挨拶。
ケニアでは握手が基本。とりあえずその場にいる人全員と握手する。
ケニアでハグは基本的にない。あったとしても女性同士だけで、久々に会った時などの特別な場合。
男同士でも仲の良い同僚とは、単なる握手ではなく、ちょっと濃厚な握手をする。すごくノリの良い同僚とは胸同士を2回(片胸ずつ)ぶつけるハグに近い挨拶もする。

男女のハグは親子間、恋人同士が基本のようだ。

自己主張の面でも距離感の違いがでる。

日本では自己主張するときは、一歩ひいて、ちょっと控え目。
「和を以って貴しと為す」という聖徳太子の言葉があるように、全体の「和」を尊重するので、何か主張する時も、自分と異なる意見も尊重しつつ主張する事が多いと思う。(私のイメージですが。)
でも、頭ごなしに相手の意見を否定する事は少ない。

ケニアでは自己主張する時は、一歩前に出る。
日常生活でもこれは感じられるが、一緒にサッカーをするとすごく分かる。ボールを持つととりあえず自分でドリブルで仕掛ける。明らかな自分のミスでも相手に落ち度があると主張する、などなど。

注意して頂きたいのが、私が言いたいのは、ケニア人全員が前述のように自己中心的という事ではない。すごく周りに配慮があり、和を尊重するケニア人も数多い。「自己アピールの方法が上手い。」という事だ。

人は話している言語によって、人格とまでは言わないが、この距離感が変わる、という事がよくある。

日本人が英語を話している時は、日本語を話している時より、よりストレートに自分の意見を言ってたり、立ち位置などの物理的な距離感も近くなってたりする。

逆の場合もあり、欧米の人たちが日本語を話す時は、言葉だけではなく振舞いもいつもより謙虚になる。その姿が可愛かったりもする。

自分でもそれは感じる。
日本語で会話している時の自分、
英語で会話している時の自分、
ワヒリ語で会話している時の自分。
それぞれ色んな意味で距離感が違うし、無意識の内に使い分けているんやと思う。
スワヒリ語で日常会話している時は、日本語では笑わん様な普通の事でも、笑えたりもする。(これはマリ隊員っぽいって事か?笑)

文化も色々やけど、こういった言語的な文化もある。
なので、英語を話していても日本語的な文化を引きずったままだと、「ちょっとこの人、距離が遠いなぁ、何も言いはれへん静かな人なぁ」と誤解されたり、逆に日本語を話しててもスワヒリ語的文化で話すと「なんてこの人我が強いんやろか」と誤解される場合もある。

ただ単語や文法を覚えるだけが語学の勉強ではない。こういった言語的文化、距離の違いを理解する事も重要だ。

むしろこの文化と距離の違いを使い分けられれば、単語や文法なんて完璧じゃなくても、会話なんて全然成り立つし。

センター試験(マークシート方式)の英語で点数を取れても、実際に話せない。こんな生徒さんはきっと多いはず。
かといって言語だけ話せても中身、人格が空っぽなら意味がない。(自分の事の様で心苦しいが。。。)

前の勤め先の上司の受け売りだが、
「真の国際人になる為には、まず真の日本人でなければならない。」

これからもっともっともっと外に、世界に出て行かないと生き延びられない日本と日本人。

外を見て初めて内が見えてくる事も多い。

しっかりケニアを学び、日本を学んでいきたい。

0 件のコメント: