キリスト教が国民の大半がケニアでは、日本のように火葬ではなく、土葬である。それをburial(埋葬式)と言う。
先日、同僚のお母さん(享年72歳)の埋葬式に更生学校のacademic sectionの代表として同僚達と参加してきた。
やはりケニアらしく10時ぐらいに開始の予定が、12時ぐらいから参列者の人たちが集まり、結局12時半から式は始められた。
まずは数人のpastor(牧師さん)によるお祈りで始まり、牧師さんが聖書を読みながら話をし、亡くなったお母さんの一生の経歴が孫により読み上げられ、みんなで歌を歌い。。。。
日本のお葬式のような雰囲気ではなく、新しい旅立ちを皆でお祝いするような、なんとなく和やかな雰囲気。
すべて民族語であるキクユ語で進められるので、何を言ってるかわ聞き取れないが、何となく「こんな感じのこと言ってるんちゃうかなぁ」という感じ。
息子、娘、孫、親戚、友人、ご近所さんを含め100名近い参列者が集まり、お母さんが皆から愛されていたんだなぁと感じた。
喪主である同僚の同僚としてスワヒリ語で自己紹介もした。
お母さんの家で行われた埋葬式の場所は、めちゃくちゃ田舎(ワムムを遥かに凌ぐぐらい)で、人生で初めて見る私(mzungu:白人)に参列していた皆さんは驚きを隠しきれないご様子。
そのmzunguが、これまたスワヒリ語を話すもんだから、さらに皆さん、さらに興奮して、色んな人に話しかけられました。
どこに行っても、wageni(客人、よそ者)を長年の友人のように歓迎してくれるケニア人のこの雰囲気はほんまに素敵。
”wageni ni baraka.(客人は祝福の証)”というのをよく耳にする。
3時間ぐらい続いた式の終わりに、家の庭に掘られた深さ2mの穴にお棺を運び、祈りを捧げる。
この時、牧師の言葉に合わせ参列者はその場で足元の土をつまみ、それを3回に分けて地面に投げる。日本のお焼香をあげる感じみたいに。
これは”大地から生を受けた命がまた大地に安らかに戻っていく”
という祈りの意味があるらしい。
そして参列者全員がスコップを順番に回し、お棺に土をかけて、穴を埋めていく。その間(30分以上)参列者はずっと歌い続ける。
式の後は、参列者にkienyeji、ピラフ、シチュー、チャイ、ウジなどご馳走が振舞われ、お腹一杯になり、それぞれが家路に着く。
男性達が先に食べ、女性の家族、ご近所のおばちゃんたちがその準備を手伝う。
開始時間が読めない、宗教、言語、形式など違いはあるが、故人をしのぶ雰囲気は日本の式と全く違いはなかった。
何事にも始まりがあり最期がある。
この一瞬に感謝し、この一瞬を大切に。
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